わしの暇つぶし

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「歌ってみた」動画がうざい本当の理由

歌ってみた動画がうざいという意見には二種類ある。

 

一つ目は、アーティストが歌う原曲を聴きたいのに、歌ってみた動画がたくさん検索結果に表示されてうざい、という意見である。

 

原曲を聴きたい人のこういった気持ちは分かるが、歌ってみた動画に一定の需要があることも理解しなくてはならない。例えば、上手く歌えるよう練習している曲があるとする。その曲の歌ってみた動画を見れば、同じ素人のレベルで自分の改善点を見つけられたりする。また、自分はこの人より上手い、と自信を持てたりもする。歌ってみた動画自体はさほど悪いものではないのだ。原曲を検索したのに歌ってみた動画を提示してくる検索エンジンに腹を立てればよい。

 

二つ目は、「歌ってみた」という言い回しがうざい、という意見である。

 

この批判は本当によく分かる。歌ってみた、と表現することによって保険をかけているように思えるのだ。別に本気でやったわけではありません、片手間です片手間、でもまあ、それにしては、なかなかの出来だと思いません?といった具合に。ただ、この理屈を以て全ての歌ってみた動画を批判するのはあまり賢くない。今や「歌ってみた」という文句はただの鼻に付くタイトルではない。「素人がプロの曲を歌った動画」という一つのジャンルを表す、ハッシュタグのような役割を担っているのである。「素人がプロの曲を歌った動画」が見たいと思ったとき、人は「歌ってみた」と検索するのだ。そうであるならば、再生数を稼ぐためにはやはり、「歌ってみた」というタイトルをつけざるを得ない。悪いのは「素人がプロの曲を歌った動画」に「歌ってみた」というタイトルをつけた最初の人物とそれに追随した初期の人物たちである。

 

歌ってみた動画の本当のうざさはその内容にある。失敬。全ての歌ってみた動画がうざいと言っているのではない。以下のような内容の歌ってみた動画が本当にうざい、と言っているのである。

 

「原曲通り」に歌っていない動画だけは本当にやめてほしい。ここでいう「原曲通り」とは、アーティストの歌い方まで真似するということである。歌い方を真似るのが恥ずかしいのか何なのか知らないが、歌詞のみに忠実に歌ってしまっている動画が本当に多い。例えば、SiMの「KiLLiNG ME」より、「you're killing me」という部分を、原曲では「ヨォキリン…モォォォォォォイ!!」と歌っているのに、「ユアキリン…ミーーーーーー!!」と歌ってしまうとか、マキシマムザホルモンの「絶望ビリー」より、「絶望 the ビリー いざ 倫理」という部分を、原曲では「ゼツボウ ザ ビィアァリィザ リンリィ」と歌っているのに、「ゼツボウ ザ ビーリィザ リンリィ」と歌ってしまうとか、そういったことだ。こういう動画を見るとなんだかむず痒くなる。生理的に厳しい。うざいというか厳しい。

 

ただ、アーティストに忠実に歌うのを良しとするか、歌詞に忠実に歌うのを良しとするのかは人それぞれである。後者の人も、アーティストの歌い方を再現した動画を見たら、寒いと思うのかもしれない。おそらく思うのであろう。感性というのは人それぞれである。人はこのことをすぐ忘れてしまうのだ。

 

結局は何を言いたかったのだろうか。今思えば本気で言いたいことなんてなかった。ただ「言ってみた」だけである。