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陰キャと陽キャの違いは何か

最近、陰キャについて考えることが多い。何が彼らを陰キャたらしめているのか。そもそも何をもって陰キャとするのか。考えれば考えるほど難しい。陰キャの特徴を論じた記事を読むこともあるが、どれも表面をなぞっているだけで本質をついていない。そもそも、性格、気質、動き、見た目、話し方、人との関わり方など、言葉で記述することが難しい様々な要素を総合的に判断して決めるべきことを、たかだか数千字で論じられるわけがないのだ。では私がこの文章でするべきことは何か。この文章では、陰キャの表面的な特徴を列挙するのではなく、陰キャとは本質的にどのような人間であるのかということを、なるべく丁寧に論ずることにする。

 

陽キャという言葉は陰キャの対義語として後から作られた言葉であるから、これについて深く論じるつもりはない。否、陰キャについて深く論じることができれば、自然と陽キャについても深く論じたことになるのである。

 

目次

一章 陰キャの定義

二章 陰キャの不得手

三章 陰キャの壁

四章 陰キャの切望

五章 陰キャの得手

 

一章  陰キャの定義

最初に断っておきたいことがある。それは陰キャ・陽キャという区別は単なる区別であり、価値判断を含むべきではないということである。陰キャは陽キャに劣った存在として語られることが多いが、そうではない。陰キャ、陽キャといった言葉を主に使う若年層では、集団を盛り上げ、楽しく話すことができる者が好まれる。すなわち陽キャが好まれるということになる。そのため陰キャは劣っているという考え方ばかりが発信されてしまうのである。足の速い者が特別優遇されるのが小学校までであるのと同様に、陽キャの方が優れているという考え方も社会に出るまでである。考えてみれば世界を動かしているのは優秀な陰キャたちである。優れた法律を作る官僚も、優れた研究成果を挙げる科学者も、学生時代には陰キャと呼ばれていたような者たちが殆どであろう。このことをまず頭に入れておく必要がある。

 

まずは陰キャを簡潔に定義することの難しさについて述べたい。例えば下のように定義してみるとする。

 

陰キャの定義(仮)

空気を壊さずして陽キャの会話に混ざることが困難である者

 

この定義は一見分かりやすいが、不適切である。陰キャの定義に陽キャという言葉が含まれてはならない。なぜなら陽キャという言葉が陰キャによって定義されるものだからである。ではなぜ陰キャの定義に陽キャという言葉が出てくるのか。「コミュニケーション能力の低い者」とでも定義すれば良いではないか、そう思う方もいるだろう。ただ、よく考えていただきたい。陰キャ同士が楽しそうに話している姿を見たことがあるだろう。こうなってくると何を持ってコミュニケーション能力が低いとするかは難しい。

 

陰キャとは結局、陽キャから「うわぁ…」と思われてしまうような者のことなのである。どうしてもそこには陽キャの目がある。これが大事なところである。陽キャの目によって陰キャは陰キャのレッテルを貼られる。では陽キャを先に定義すれば良いという話になるが、簡潔に定義しようとすればするほど、陽キャとは結局、陽キャの会話に難なく入っていける者だという結論に至る。絶対的に思える陰キャ・陽キャという区別は、深く考えると結局、相対的なものでしかありえないということがわかるのだ。

 

陽キャに依存しない定義を作るために視点を変えてみよう。異性との関係性に着目してはどうだろうか。つまりこういう定義をするのだ。

 

陰キャの定義

異性との性交が困難である者

 

どうだろうか。すんなりと受け入れるのは難しいだろうが、簡潔かつ絶対的に陰キャを定義しようとすると、直感からは多少遠ざかったものになってしまうのである。身の周りの陰キャを思い浮かべれてみれば、そのほとんどが現在童貞(処女)であり、かつこの先も童貞(処女)であることが予測されるような者であろう。同様にして陽キャは次のように定義することができる。

 

陽キャの定義

複数の異性と性交するポテンシャルを持つ者

 

ここで「複数の異性」としたのは、陰キャではないが陽キャとも言い切れないような者を弾くためである。例えば、異性と性交する能力は高くないが、気心の知れた幼馴染と一途に付き合っている者や、運命的に感性が一致した異性と運良く付き合っている者などがそうである。

 

陰キャの本質は異性と性交できる可能性の低さである。いや、本質と言うよりは、陰キャと呼ばれる者たちが持つ様々な特徴から導かれた、彼ら全体に共通する性質が性交可能性の低さである。正直に言うと定義としては帰納的で不十分なところがある。しかし数多く列挙される陰キャの特徴を一つにまとめて一般化したことには意味がある。

 

次章では陰キャがいかにして陽キャとのコミュニケーションでつまずいてしまうのかを論じる。

 

二章  陰キャの不得手

一章でも述べたように、陰キャは空気を壊さずして陽キャの会話に入ることができない。空気を壊すというのはどういうことかというと、楽しい雰囲気に水を差すとか、変な気を遣わせるとか、そういったことである。彼らはなぜできないか。陰キャの型を大きく二分して考えていく。

 

まず一つ目の型はインプット不得手型である。インプット不得手型の陰キャは外界の様子と自分の行動を客観的に捉えることができない。いわゆる「変な奴」、「イタイ奴」である。一人でボソボソ喋ってはニヤニヤしていたり、全く面白くない話に肩を揺らして爆笑したり、そういったタイプの者である。インプット不得手型の陰キャは、場の空気や話の流れ、人間関係などを認識することが極めて苦手であるため、陽キャの会話に正しく入っていくことができない。次章で詳しく解説するが、陽キャの会話に入るということは非常に複雑で難しいことである。

 

インプット不得手型の陰キャは、陽キャの会話の空気を壊したとしてもそれに気づくことはない。空気というものに鈍感だからである。彼らには彼らの幸せがあり、陽キャになりたいなどとは思ってもいない。

 

二つ目はアウトプット不得手型である。この型の陰キャはインプットは得意である。すなわち、状況を正確に把握することはできる。今この状況でこういうことを言ったら変な空気になるな、とか、お前がそこでそれを言ったら気まずい空気になるだろ、とか、そういったことはわかる。ただ、いざ発言する立場になると上手くいかないのだ。ユーモアセンスや瞬発力の不足で笑いが取れないとか、自信のなさで前に出れないとか、存在感がないとか、そういったことである。もしくは、見た目や動き、話し方などが陽キャのスタンダードからズレてしまっている場合もある。服がダサいとか、口の周りをぺろりと舐める癖があるとか、制汗剤を使っていないとか、早口でまくし立てるとか、そういったことである。いくらインプットを正確に行っても、そういった細かいところで陽キャからは疎外されてしまうのだ。

 

アウトプット不得手型の陰キャはいつも悩んでいる。空気を壊してしまったら気がつく。自分が陰キャであることもよく自覚している。こういったタイプの人間がいることを陽キャはあまり理解していない。全ての陰キャがインプット不得手型だと勘違いしている。どうせ気づかないと思って目の前でクスクス笑うが、アウトプット不得手型の陰キャは気づいてる。

 

全ての陰キャがこの二つに分かれるわけではない。最も多いのがアウトプット不得手8に対しインプット不得手2といった具合の陰キャであろう。

 

三章  陰キャの壁

現在陰キャである者が、陰キャを脱して陽キャの中に溶け込むことは非常に難しい。陽キャが陰キャに課す試験問題は、問題そのものが難しい上に採点も厳しいという、二段階の難しさを持っているからだ。

 

まず問題が難しいとはどういうことか。一章でも述べたが、陽キャの会話に入るためには、多くのことに気を配る必要がある。場の空気、会話の流れ、自分の立ち位置、タイミング、など挙げ始めればキリがない。これらを瞬時に知覚し、判断し、その上で場を白けさせない行動をとらねばならないのだ。この総合的な力を、最低限のギャグセンスと呼ぼう。なぜ最低限かというと、必ずしも笑いを取る必要はないからだ。雰囲気を壊さず、円滑に会話ができれば問題ない。陰キャには「最低限のギャグセンス」がない。では今から努力して「最低限のギャグセンス」を身につけることは可能だろうか。実際、不可能に近いだろう。こういった力は一年や二年という短期間で身につけられるものではなく、「教室」という空間の中で長い時間をかけて育まれる力なのである。「教室」を与えられた小学校の時から「教室」を離れる高校の時まで、絶えずクラスの雰囲気を察知し、自分の立ち位置を考え、適切な言動と行動をとり続けた者だけが陽キャになれる。

 

次に採点が厳しいとはどういうことか。まずは初対面の陽キャ同士が腹の底で何をやっているのかを見ていこう。互いに初対面の二人の陽キャがいる。彼らの最優先事項は自分が陽キャであることを相手に示すことである。ただし「僕は陽キャです」と言って「はい、わかりました」となる訳はない。陽キャは初対面の相手をその場で採点する。何を採点するのだろうか。それこそまさにギャグセンスである。陽キャは笑いに厳しい。集団の中でいかに笑いを取るか、集団の笑いをいかに壊さないか、そういうことに敏感である。ここで「最低限のギャグセンス」がないと見なされれば不合格だ。

 

陽キャの採点は減点方式である。そして少しの減点で即不合格にされる。これが陽キャの採点の厳しさである。初対面の陽キャは最初、ジャブを打ち合う。当たり障りのない会話の中で、相手がボロを出さないかを確認するとともに、自分もボロを出さないよう気を配る。ここで減点されなければ、それ以降は安定して陽キャの評価を得ることができる。逆にここでミスをすると、「最低限のギャグセンス」を持たない者と見なされ、挽回することは難しい。ボロを出すというのは例えば、つまらない返しをしたり、変なところで笑ってしまったりすることである。この採点を突破できる陰キャはまずいない。

 

この二段階の難しさから、陰キャが陽キャに変わることはほぼ不可能である。陽キャになる方法を紹介するような記事によく、「服装に気を遣う」とか「明るくハキハキ喋る」とか、そういった表面的なことが書かれているが、そんなことではどうしても越えられない壁があるのだ。必要なのは空気を壊さない「最低限のギャグセンス」である。

 

次章では、それでも自分を変えたい、陽キャになりたいという陰キャのために、できるだけのことを書いた。

 

四章  陰キャの切望

自分が陰キャであることを自覚していない、もしくは気にしない陰キャはそのままでいい。上述の通り、彼らには彼らの幸せがあり、それが陽キャの幸せに劣るということは断じてない。ただ中には、陰キャである自分が嫌だ、陽キャに混ざって楽しく喋りたい、そう思う陰キャもいる。前章で述べたように、脱陰キャは簡単なことではない。だからと言って完全に諦めろというのも酷な話である。可能な限りで最善の方法を考えていこう。残念ながら私は脱陰キャの成功例を知らないが。

 

方法は一つ。陽キャの友達を一人作ることだ。この手の悩みはネットの記事を読んで解決できる類のものではない。こういう場面ではなんと言うべきだったのか、ああいう場面ではどういうリアクションをすべきだったのか、といった具合に、個々の状況に対して、実践者の生のアドバイスをもらうことが必要である。これができるのは身近な陽キャしかいない。

 

ただ、陰キャにとっては陽キャの友達を一人作ることが難しい。そもそも陽キャと友達になる方法を知りたいのに、いきなり友達になれと言われても困る、そう考えるのは当然である。ただ、ここで重要なのは一人作ればいい、ということである。陽キャにも様々なタイプがいる。陰キャを軽視する陽キャもいれば、陰キャに優しい陽キャもいる。陽キャになりたいと考えているということは、少なくとも完全なインプット不得手型ではないのだから、陰キャに優しそうな陽キャを判別する力ぐらいはあるだろう。例えば、自分が話に入れていない時にうまく話を振ってくれるとか、自分をいじって笑いを取ってくれるとか、そういった陽キャである。彼らは優しいから、相談すればある程度は親身になってくれるだろう。ただ、相談の内容が内容であるから、さほど仲良くもなっていない段階で打ち明けることは控えていただきたい。

 

運良く周りに優しい陽キャがいて、運良く彼と友達になれて、運良く彼が親身になってくれた。ここまでの偶然が重なってやっと光が見え始める。それほど脱陰キャは難しいことである。ただ、可能性が全くのゼロとは思わない。

 

第五章  陰キャの得手

第一章で述べたように、世界を動かしているのは優秀な陰キャである。陽キャにしかできないことがあるならば、陰キャにしかできないこともある。例えば研究職などは陰キャに向いているだろう。インプット不得手型に寄った話にはなるが、空気を読めないことに強みがある。周りの目を気にしないが故に、自分のやるべきことだけに没頭できる、それについて大きな声で語り合うことができる。こうしたことができなければいい研究成果を得ることはできないだろう。陽キャには難しいことだ。すぐに自分を客観視して、おかしいと思ったらやめてしまうからである。また、楽しい方に流されず、言うべきことをしっかりと言い、やるべき仕事をしっかりこなす、こういったことも陰キャの方が断然得意である。陽キャはどうしても笑いを優先しがちになってしまうからだ。陰キャあっての世の中である。陽キャは陰キャに感謝して生きていかなくてはならない。

 

 

最後まで読んでいただき光栄である。少しでも共感してくれる方がいればこれ以上の幸せはない。